「謎の4世紀」と呼ばれる理由
1. 中国正史の記述が途絶える
- 『三国志』の「魏志倭人伝」(3世紀)には卑弥呼と邪馬台国に関する記述があります。
- しかしそれ以降、4世紀に関する中国の歴史書(晋書や宋書など)には日本列島の情報がほとんど登場しません。
- 再び登場するのは5世紀になってからの「倭の五王」の時代。
👉 この空白期間が「謎の4世紀」と言われる最大の要因です。
2. 国内の文字史料が存在しない
- この時代、日本国内にはまだ文字(漢字)による記録文化が根付いておらず、記録は口伝と物的遺構(古墳や土器)に限られる。
- 後世の『古事記』や『日本書紀』は8世紀初頭に成立したもので、4世紀のことを記述していても信憑性に疑問が残ります。
3. 古墳の巨大化とヤマト政権の登場
- 4世紀後半から前方後円墳の規模が急激に巨大化し、大和地方(現在の奈良県)を中心とした権力の集中=ヤマト政権の成立が推測されます。
- しかし、この政権がどのように成立したのか、また邪馬台国との関係がどうだったのかは依然として不明。
主な論点と研究の焦点
● 邪馬台国とヤマト政権は同一か?別か?
- 3世紀に存在した邪馬台国と、4世紀後半に出現するヤマト政権の間に 断絶があるのか、連続性があるのか が重要な争点です。
● 古墳の変化が意味するものは?
- 巨大古墳の造営により、政治的権力が集中的に整備されていった様子がうかがえます。
- 特に4世紀中盤〜後半の古墳(箸墓古墳など)は、女王卑弥呼の墓ではないかという説もあります。
最近の考古学の進展
- 年輪年代測定や炭素年代測定、土器様式の分類などにより、古墳や集落跡の年代がより正確に特定されつつあります。
- こうした研究が「謎の4世紀」の解明を少しずつ進めていますが、いまだ定説はありません。
まとめ
「謎の4世紀」とは、
- 記録がほとんど存在しない空白の時代であり、
- 日本列島の統一政権(ヤマト政権)が誕生しつつある極めて重要な転換点、
- しかしその実態が考古資料からしか読み取れず、
- 歴史学的にさまざまな仮説が飛び交っている時代
です。